東鳴子温泉とは

料理イメージ

東鳴子温泉の特徴

宮城県東鳴子温泉は江戸時代中期に開湯した歴史ある湯治場です。当時は鷲ノ巣、田中、赤湯、目の湯と呼ばれ、その湯の良さで世に知られてきました。東鳴子温泉は美肌効果の高い重曹泉を中心に多彩な泉質に恵まれ、湯治や長期療養滞在などを目的に伊達藩世紀には御殿湯も置かれた由緒ある保養温泉地です。


御殿湯(ごてんゆ)の由来は、仙台藩及び岩出山城主の御湯として造られ、特に、楽山公(仙台藩主・伊達慶邦)は、子どものないのを憂い、(孝子)婦人と伴い、赤湯に遊湯して、二子をもうけたと云われています。その多くはこじんまりとした湯宿で、湯治から滞在、1泊型など幅広い保養のニーズにお応えいたしております。


東鳴子温泉の各宿は源泉を利用しており、美人の湯「重曹泉」を中心とした多彩な泉質は、お子様からお年寄り、ファミリーやカップルにいたるまで多くの人を癒しております。なんと言っても東鳴子温泉は鳴子温泉郷の中でも家庭的なサービスがモットーの宿が多く、旅人の心を優しくほぐしてくれます。
お風呂も家族風呂、露天風呂、貸切露天風呂など多彩なお風呂があり、きっとあなたにぴったりの温泉旅が見つかるでしょう。

東鳴子温泉の歴史

東鳴子温泉は、奥州三名湯の一つにあげられる鳴子温泉の入口に位置し、古くから湯治の里として栄えました。
鳴子温泉の歴史は古く、「続日本後紀」によると承和二年(835年)潟山が大爆発し、熱湯が轟音をあげて噴出した時に始まり、村人が鳴郷の湯と名付けたことからこの名が付いたと言われています。
鳴子温泉郷エリアは、374本の源泉が湧く出湯は国内第一を有する多彩な泉質と効能豊かな名湯ぞろいです。
同じく、東鳴子温泉街の歴史も古く、由来は壇の浦の合戦に敗れた平家の家臣がこの地に逃れ、仁治元年に温泉を発見したと伝えられますが、一説には、天平19年(747年)玉造軍団がこの地に設置された頃からあったともいわれております。
明治43年8月にこの一帯に山崩れが起こり温泉はことごとく埋没しましたが、その後復興して現在にいたっております。昭和27年から昭和45年にかけて新しく発掘された温泉もあります。


◆JR鳴子御殿湯駅について

東鳴子温泉の中心にある駅・鳴子御殿湯駅

鳴子御殿湯駅(なるこごてんゆえき)は1952年1月25日東鳴子駅として開業。
1997年3月22日鳴子御殿湯駅に改称。2004年9月18日(旧駅舎を6月下旬に解体し)新駅舎に更新されました。
新駅舎となったのは私達、地域住民が一体となった地域活動が認められたからです。駅の運営は業務委託として鳴子御殿湯駅乗車券類発売管理組合が行っており、乗車券販売手数料収入、補助金、負担金、協力金があり、駅の運営が成り立っています。
駅を有人駅として来た歴史と、鳴子へ通う子供達の安全を守り続けたいと思っております。鳴子での切符を購入する場合はここでお買い求めください。温かいご協力をどうぞよろしくお願いいたします。